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想いを残す為に

Facebookをやめてしまった友達から連絡をもらいました。

祖母が亡くなった時に、僕がFacebookに書いた文章をもう一度読みたいからよければどこかに移してもらえないかと。

自分で自分の為に書いた文章をもう一度読みたいと言ってもらえたのは率直に嬉しかったので、これを機にはてなブログを作成してみました。

少しだけ加筆修正をして下記に載せます。


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パリで大変なことが起こった日、母方の祖母が亡くなりました。92歳でした。


世界中がパリやシリアやイラクレバノンへの、平和への祈りを捧げる中、ぼくはただ一人のために祈りを捧げていました。


実は祖母とは亡くなる6年前から一度も会うことはなく、最後に会ったときのことも思い出すことができません。


その辺りのことは色々と複雑な事情があってしょうがない面が、なんてことをずっと思っていましたが祖母が亡くなった今思い返してみれば、そんな事情を言い訳にしていただけで、会いに行こうと思えば会いに行けたんです。本当に後悔しています。


うちの実家は両親が自宅で商売をしているので、小さな頃から母親の実家に預けられていましたし、母方の祖父祖母にしてみればぼくが初孫だったこともあり本当に可愛がってもらいました。優しいけれど、ちゃんと言いたいことは言うおばあちゃんでした。


祖父が亡くなったのはぼくが大学生の頃、もう15年も前のことです。その後から少しずつ、本当に少しずつだけど祖母に認知症の症状が出るようになりました。


ぼくのことを叔父と間違えて呼んでしまった後に、そのことに気がついてごめんねという祖母の顔が忘れられません。それでも6年前までずっとぼくのことはちゃんと覚えてくれていました。


その後家庭の事情で施設に入ってしまい、ぼくは会いに行くことがないまま最後の日を迎えてしまいました。


大好きだったのに。本当に大好きだったのに。どうして会いに行かなかったんだろう。祖母はどんな気持ちでいただろう。ぼくのことを呼び間違えたときよりももっとずっと悲しい顔をしていたのかな。日々の忙しさや些細な事情を言い訳にしてなかなか会いに行けなかったぼくは馬鹿でした。後悔しかありません。


施設の方に少しだけ話を聞くことができましたが、祖母は時々訳のわからないことを口走ることはあったけれどもそれでも明るく友達がたくさんいましたよ、とのことでした。


おばあちゃん92年間お疲れさま。たくさんの愛をくれてありがとう。最後に顔を見せることもできずごめんなさい。ゆっくりやすんでね。


祖母が亡くなったことを聞いた時も、亡くなった祖母の姿を見た時もお通夜の時も葬儀の時も骨だけになってしまったのを見た時も泣くことができませんでした。


これは祖父が亡くなった時と一緒です。http://d.hatena.ne.jp/xavi6/touch/20050105/p1


いつか今感じている後悔を自分自身で受け入れることができるようになった時、あなたを想って涙を流すことができますように。これからはもうずっと忘れないよ。